こんばんは! じんです。
ふと思うと、自分の人生って他人の脇役になっているかも?
そんな思いを経験したことってありませんか?
今回の記事を読んでいただければ、少なくともあなたの人生は他人にとっての脇役ではなくなります。
また、他人の人生にとっての敵キャラというポジションに置かれないための考え方の理解の助けになるはずです。
今あなた自身が絶対に自分の人生の主役は自分であるという確信があるのであれば、その確信の根拠の言語化の手伝いにもなります。
そして、自分の人生は脇役かもしれない?と少しでも感じてしまっているなら、すぐにでも主役になれずとも、近づける考え方を知ることが出来ます。
今回紹介する内容を読んでいただくあなたの大切な時間を無駄にしない記事にしますので、ぜひ好きな飲物を用意してゆったり読んでいただけたら嬉しいです。
自己分析をわかりやすく
僕は時々、友人や知人の活躍を見聞きしたり、好きな小説を読んでいる時に、現実世界やフィクションの世界のキャラクターと自分を比較する度に上記でお伝えした、自分の人生は脇役で、主役とは程遠いのではないか?と答えの出しづらい悩みが頭をもたげました。
その都度、どうして自分自身を主役のような存在として見れないのかを悩んだりもしましたし、いつも自分は他人からの影響ばかり受けて、他人の色に染まることしか出来ない自分ってなんなんだろう?と考えた時期を思い出しながら自己分析についてお伝えします。
分析能力の欠如が自分を迷わせる
1つの納得の行く答えを出すためには、徹底的な自己分析は必要になります。
なぜなら、やりたいことをやっている人や、好きなことで生活をしている人はあらゆる分析が得意だからです。
その分析能力によって、成功している人の多くは自分自身を分析することも非常に上手ですし、とても参考になります。
そのような人たちを見て、僕自身が結果を出せない原因が何かわからなかったのは、あらゆるものに対する分析という行動への苦手意識があったからです。
今回は様々な分析対象の中でも、もっとも分析する価値の高い自分自身を分析する方法と、その具体例を紹介していきます。
自分が人生の主役になるための第一歩が自己分析
特に、自分自身の内面の分析をしないと、努力はしていても気がつけば、まるで他人の人生における脇役や悪者のような立場に立たされることもあります。
けっこう寂しい思いを募らせたり、自分の夢や目標って叶うことも達成することもできないんじゃないかな?って不安だけが募ったりもするかもしれません。
ですが、自己分析を定期的にすることで、あなたの人生を主役でいられる努力の仕方も分かってきます。
せっかくの人生ですから、他人の人生の脇役や敵キャラに甘んじないように自己分析を少しづつ意識して欲しいですし。
この自己分析こそが自分の人生を主役にするために出来るもっとも簡単な第一歩と捉えてみてください。
自己分析の手がかりとなる集合的無意識
自己分析と一言で言っても、ただ自分の内面を何の手がかりも無く見つめているだけでは、なんの道標もない世界の景色を見つめるだけで、その手がかりの無い世界で出した答えにすら自信を持てないと思います。
仮に、なんの手がかりもない自己分析という世界で、素晴らしい答えを見つけても、その答えが良いものなのか悪いものなのかの判断すら厳しいところが自己分析の難しいところではないでしょうか?
なので、自己分析における1つの大きな道標として集合的無意識を提案させていただきます。
集合的無意識とはカール・グスタフ・ユングが提唱した、私たちの潜在意識の”さらに奥の深層部分“には、個人の意識を超越した「全人類が共有する意識」があるという説です。
これはわかりやすく言い換えれば、人類の意識は根っこの部分ではつながっていて、多くの人が共有出来る「感覚」が流れているということです。
この多くの人が共有している感覚と自分の考え方や行動がかけ離れていれば、いるほど、他人の人生にとっての敵キャラや脇役となり、多くの人が共感出来る行動を実践することが、あなたの人生を応援したくなる主役となる生き方に近づきます。
自分の人生を脇役にせずに主役にする考え方
カール・グスタフ・ユングは、集合的無意識が存在する理由として「元型(アーキタイプ)」という概念を残しました。
時代や民族や文明などが異なっていても、共通する「概念」がり、それは「神話」などの形で伝わっています。
そして、世界中にある小説や映画などのヒット作にはたいてい神話の法則という物語構成が当てはめられ、多くの集合的無意識として共通の認識から共感されています。
つまり、ヒット作と「人々の共感」はイコールと考えられています。
であれば、自己分析をする際の道標となるのは、多くの人々が集合的無意識として共感できるような生き方や行動を手がかりにすることで、あなたの人生は脇役から主役の行動に変わっていくことが出来ます。
自分が主役であるならどんな行動をするのか?
自分の内側をただ、何も手がかりも無く見つめ続ける自己分析と違い、多くの人の集合的無意識という人々の共感を得られる行為を軸に行動をするには具体的にはどうすれば良いのかをお伝えします。
それは「神話の法則」に詳細な具体例が記されていますが、あまりにも分厚く理解するまでに時間がかかるので、今回はその書籍にある重要な部分をまとめました。
一言でいうと、「不幸や挑戦に対して勇敢に向き合い、成長を遂げる人」です。
昭和の仮面ライダーやサイボーグ009など人体改造などの常軌を逸した不幸から、その葛藤を克服して勇敢に悪と立ち向かい成長するストーリーなど応援したくなりますし、毎週見ても飽きなかったファンも多いです。
上記の例は極端な例ですが、実生活でも、家族のために身を粉にして働く主人公は応援したくなりますし、身体には悪いのでおすすめはしませんが、睡眠時間を極限まで削り、日々の楽しみを犠牲にしてまで社会貢献をしようと励む人がいたら応援したくもなるはずです。
そのような人は多くの人の無意識(集合的無意識)の中で「主人公」と認定され応援されることには違和感はないと思います。
人生の脇役という生き方も知っておく価値がある
上記の極端な「主人公」像はいきなり目指しても、おそらく挫折してしまう可能性もあって、参考にはなっても実践への手がかりにはならないかもしれません。
ですが、いずれは誰から見ても「主人公」として共感される行動は誰にだって出来ます。
そのためにも、まずは脇役としての考え方も知っていて決して損ではありません。
むしろ、無意識に選択してしまう楽な生き方はたいてい不幸や挑戦に勇敢に向き合わない脇役の生き方の方が楽なので、選んでしまうのは脇役として多くの人に共感される生き方です。
人生の脇役の考え方
人生における脇役の考え方は簡単に言えば、主人公の選ばない道を選び続けるだけです。
太古のの昔から全人類の集合的無意識には「不幸や困難に挑戦し続ける人」を応援したいと願う気持ちと、惹かれる部分があります。
つまり、主人公の生き方は困難ですが、多くの人に応援され、人・モノ・出来事が引き寄せられてい来ますし、脇役であった頃の僕たちも主人公を応援する側だったはずです。
人生の敵役の具体的な行動とは?
人生における脇役の考え方から、さらに他人の人生における敵役になる人も説明すると、「主人公としての生き方」から逃げて否定することを選択した人です。
こうなると、人生の脇役というよりも、多くの人が共感する生き方を邪魔する人として、悪い意味で目立った生き方もできます。
それが他人の人生の敵役として生きるという選択だと思います。
自己分析と自分の人生を主役にするためのまとめ
上記のような他人の人生の敵役としての生き方も、他人の人生をより主人公として際立たせる意義はあるかもしれませんが、あえて多くの人が応援したくなる生き方に逆らうような辛い選択肢を取る必要はないと思います。
ただ、不幸や困難に立ち向かうよりも、それらの問題から逃げて否定するほうが遥かに楽ですし、その結果として多くの人が離れていくというのも仕方のないことなのかもしれません。
しかし、今回の記事を読んでくださっているあなたなら、きっと自分の人生の主人公となる生き方やそのための考え方を選択してくださると思っています。
自分の人生の主役を演じたいと思うからこそ、自己分析という見つめたくもない部分に興味を持ってくれたのだと思いますし、その部分を克服するように努めて、より良い人生への手がかりを求めた結果として、この記事を見つけてくださったはずです。
僕の知る限り、人生における主人公の生き方を選択した人は必ず苦労もしますし、逃げ出したくなるような状況を体験していますが、その都度自分自身を振り返り、必死に自己分析をしている人ばかりです。
決して楽な道を案内しているわけではありませんが、この記事を最後まで読んでくださったあなたには、自己分析を通して、自分の人生における主人公になっていただけたら嬉しく思います。
僕もまだまだ人生における主役の道を選んで歩き始めたばかりですが、あなたと一緒に歩くことが出来たらすごく心強いです。
今回の記事も最後まで読んでくださってありがとうございました。
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